吉備の中山に行ってきました! [岡山]
本日は吉備の中山にある中山茶臼山古墳に行ってきました!
博物館にバイクを停めて、少し離れた参道から登っていきました。
宮内庁により「大吉備津彦命墓」として第7代孝霊天皇皇子の吉備津彦命の墓に治定されています。
第10代崇神天皇陵の行燈山古墳とほぼ2対1の相似形であるという指摘があります。
第10代崇神天皇により使わされた四道将軍であるので、皇族として天皇陵のほぼ半分の大きさの墓を作ったと思われます。
こちらは岡山の他の古墳と違って、皇族の墓として、宮内庁が管理しており、入ることは出来ません。
古事記によると、吉備津彦により吉備は大和に占領されたとあるので、この3世紀後半からは王の墓も前方後円墳になり、大和の影響下に置かれます。
(´・ω・`)
まあ、先週行った王墓公園の弥生墳丘墓は出雲と同じ形だった訳ですが、3世紀前半までの出雲・吉備の連合王国が崩れ、吉備が大和側になったことにより、出雲への国譲りが崇神天皇の時代に行われたのではないか?
あの当時、出雲・吉備の神政国家連合体の吉備が制圧された為に、武力によらず国譲りという平和裏に統合されたのでは?
と、いう流れを考えておりますが・・・
どうでしょうね。
(´・ω・`)
第10代崇神天皇が出雲の神宝を献上させたという日本書紀の記述もありますし、天皇の権威が広域に広がった時代でもあり、また地方の力がまだまだ強かった事も示唆しています。
出雲の神宝を献上させるというのは、支配を受け入れるという意味でもありますしね。
それに吉備津神社が神階が一品という特別扱いを受けているところも、非常に興味深いですけど、
それは平和裏に譲られた国の出雲大社には及ばないというのも納得できるのですけどね。
それに吉備津彦は吉備の中山に居を構えたと伝わっております。
まだまだ周囲への警戒を緩めることが出来なかったのでしょうね。
と、いう訳ですが帰りに吉備津神社に寄ってきました。
今の季節は紫陽花祭が行われていて、岡山の紫陽花の名所として有名です。
綺麗な紫陽花が無数に咲いておりました!
(^O^)/
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