安仁神社に行ってきました! [岡山]
さて、本日は安仁神社に行ってきました!
この安仁神社は初代天皇の神武天皇の「兄」に当たる五瀬命ほか二神を祭神としたものです。
神武東征は元々は「兄」の五瀬命が総大将で、弟の神武天皇は亡くなった兄を引き継いで東征を続けたと古事記では神話として伝わっていますが、九州の日向から出発して、岡山の吉備に駐留していた時の場所が安仁神社だと伝わっています。
古事記では神武東征の際に吉備の高宮で8年過ごし、浪速国の白肩津から近畿へ攻め入ったと伝わっています。
吉備の高宮の候補の一つが安仁神社です。
まさに「あに神社」とそのままの名前の神社で、神武天皇が即位後に五瀬命ら皇兄たちをこの地に祀って「久方宮」と称したのが起源としています。
神話通りなら、2000年を超える神社ですね。
(´・ω・`)
備前の一の宮だったのですが、天慶の乱において当社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷より剥奪されました。
その後の一の宮は備中の吉備津神社から御霊代を分祀されて創建した吉備津彦神社となりました。
備中と備前の一の宮がすごく近いのは、こういう理由からです。
それに、神階は不明となってます。
そもそも神武天皇の兄たちを祭った神社なので、品も位階もありません。
ある意味、格式は非常に高いのですが、のどかな所にある神社です。
しかし、皇族の神社ですので立派な建物です。
創設からして神武天皇の兄たちを偲ぶ神社ですので、気合が入っているのでしょう。
日向の国から旅だった神武天皇の一行は、近畿地方に攻め入り、大和の国を本拠地として発展していきます。
元々の本家の日向にあった天孫一族はどうやら滅んでしまい、分家であった大和の天孫一族が日本を統一していくのですが・・・
(´・ω・`)
こういう事を調べていくと、魏志倭人伝の邪馬台国は大和王権に滅ぼされた国の一つではないか?
との、思いが強くなったいきます。
そもそも、天孫族はニニギの尊が天孫降臨として日向国に降り立つのですが・・・
じゃあ、なんで天皇の始祖はニニギの尊じゃなくて、アマテラスなの?
とか、まあ、色々とロマンを感じますよね。
歴史のキーとなった場所を訪れると色々と想像できて楽しいです。
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