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「風立ちぬ」とゼロ戦が何故、帰ってこなかったのか? [映画]

「風立ちぬ」も来週TV初放送です。
(´・ω・`)
いやぁ、私も楽しみです。
と言うわけで、ゼロ戦について語ってみようと思います。
ゼロ戦というと、まず言われる事が初期はその高い格闘戦能力で圧倒していたということですが、
それ以降は研究され、大した戦果あげられませんでした。
それは同時期の戦闘機で、メッサーシュミットBf 109やスピットファイアに比べてると、エンジンが液冷式か空冷式かの差が一番大きな問題点でした。
特に大戦後半の連合国機との出力増強競争にまったくついていけなかったのです。
空冷エンジンの拡張性は低く、液冷エンジンは発展の余地があったのです。
自動車やバイクでも、空冷エンジンと水冷エンジンと比べるとやっぱり性能差ははっきりと出ます。

ここで宮﨑駿は原作のマンガ「風立ちぬ」で、堀越二郎にシュミット博士に「われわれはセンスで貴君に対抗する」と言わせていますが、それこそセンスっていうか、ここまでスッカスカにするか?
って、感じでゼロ戦は作られました。
もちろん同盟国ですから、メッサーシュミットに積まれたエンジンをライセンス供与されましたけど、
日本の工業レベルでは、ドイツのメッサーシュミットのエンジンを生産することは出来ませんでした。
悪いことに対戦国であるアメリカのエンジンは世界一でした。
大戦後期のアメリカの海軍機のF6Fのエンジンの馬力は2000馬力で、ゼロ戦の1000馬力ほどのエンジンではそもそも対抗することが出来ず、空冷式ながら大きなエンジンにしたり、精度が低いながら液冷方式を頑張って作ってみたりして、バランスの悪い局地戦闘機については、だいたい性能的には対抗できますが、量産は難しくなり海軍はゼロ戦が最後まで主力でした。
最後にはP-51やF8Fなど大戦期の最高傑作と言われるレシプロ機が日本の上空に現れ、日本から航空優位は失われてしまいました。

明治維新から理系エリートを軍事産業に従事させ、何とか設計性能については太平洋戦争では欧米と並びましたが、それを大量に生産するまでには至らなかった。
全体的な底上げは、それこそ高度成長期の1970年代まで実現できませんでした。
石原完爾がアメリカとの最終戦争が可能になるのは、1970年代と予言した通りだったのです。

要するにアメリカと戦争できる国力なんて、やっぱ1940年代には無かったのです。あの当時、中国戦線は泥沼化していて、政治と外交の判断ミスから孤立化して、戦争をしてしまったという反省が、戦後史だったと言えます。
(´・ω・`)
今は、八方美人で周りにいい顔しすぎじゃないか?
と、いう反動が今の安倍内閣ですが、これでもまだ欧米と比べれば生易しいです。
色んな意味で所属する国民だけを守る為に手段を選ばない。
近代国家とはそういうものです。

「永遠の0」で、主人公はゼロ戦を称して、「この戦闘機の設計者は操縦士の事を考えていたのか?」と、長時間飛行出来る=長時間戦闘が可能というあの当時の人間を集中力を超えて酷使される事について文句を言ってます。
そりゃあ、この戦闘機は作戦行動を10時間やれるって言われて、やれ!
って、言われても困りますよね。
(´・ω・`)

今や日本は世界に冠たる先進国となりました。
防衛装備移転三原則により、日本の兵器が海外へも輸出される道も開かれました。
今一度、考えてみましょう。
それが正しい道なのか?
と、「風立ちぬ」を見ながら、また考えたいと思います。
今も堀越二郎のように、世界一の性能を求めて頑張る日本人技術者たちは、沢山います。
その方々の尊敬するからこそ、色々と思うところがありますね。
(´・ω・`)


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