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「軍師官兵衛」と軍師としての最後の仕事 [ドラマ]

「軍師官兵衛」も最終局面の関ヶ原の戦いになりました。
猪武者と言われた息子の長政も豊臣恩顧の大名を調略して、徳川方に導く重要な役目を負って活躍しています。
さて、黒田官兵衛は関ヶ原の戦いの時に九州で大暴れするわけですが、ここを真面目に映像化したものが無かったのが、ようやく見れるなぁ・・・。
(´・ω・`)
と、いう訳で楽しみです。

しかも天下を狙っていたという解釈で行われる物語!
今日が楽しみで仕方がありません。

でも、ご存じのとおり関ヶ原の戦いはあっさり終わってしまったわけで・・・。

ここで石田三成が粘ってたらなぁ・・・。
でも、徳川の本隊が来る前に家康の倒していれば、天下がどう転がったか分かりませんからね。

あの時点で博打をうつ理由はわかります。
でも、戦下手は変わらなかったっすね。
(´・ω・`)
実情でも石田三成は20万石しかなく、せめて天下を争うなら、100万石欲しかったですね。
少しは戦局を左右できる力になったんでしょうが、たかだか動員出来た兵力も6900人。
これでも、20万石の小大名には多い方なんですけどね。
もし3万の軍勢を用意できていたら、全然変わっていたと思います。
天下分け目と言われた戦乱も、光成蜂起からたかだか2か月もしないで崩れ去った西軍でした。

この後は徳川家康が今での将軍職と違い、圧倒的な領地を誇る絶対君主制に近い権力を持ちました。
でも、2代目ぐらいから結局は将軍の権力が削られていって、名ばかりという将軍も出てきますが、
幕末までの260年間は圧倒的な権力で日本を統治しました。

ある意味、黒田官兵衛の戦乱の無い世の中が出現したんですね。
(´・ω・`)
鎖国と言われるのも、諸外国との争いから一線を引いた外交戦略ですしね。
明治まで外国との戦乱からは無縁でした。
これも珍しいことです。
あの時代は兵器の性能が日進月歩が始まり、戦争が絶えなかった時期です。
もし中国とも普通に付き合っていたら、アヘン戦争にも巻き込まれていたと思います。
外国と付き合うということは、戦争に巻き込まれるという事です。
これは現在でも変わりません。
実際、中東でゴタゴタに巻き込まれそうですしね・・・。
日本もエネルギー政策を自国で賄えるようになりたいものです。
知らんぷりは出来ないんですよね。


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