改革の道は険しくて当然! 陽明学を学ぶ資格 「幕末の再建の神様 山田方谷の教え」 [本]
岡山では、江戸時代初期から陽明学が盛んです。
江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための閑谷学校では、陽明学が教えられ、岡山藩の発展の礎となりました。
もちろん、武士も学んでいたのですよ、岡山では誰もが「行動する禅」と称される陽明学を学べました!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%91%E8%B0%B7%E5%AD%A6%E6%A0%A1
さて、江戸時代は幕府によって、朱子学の普遍的秩序志向は体制を形作るのに奨励されました。
一方、陽明学は王陽明の意図に反して反体制的な理論が生まれたため、体制を反発する者が好む場合もありました。
自己の正義感に囚われて革命運動に呈する者も陽明学徒に多く、その代表格は大塩平八郎や吉田松陰です。
そもそも、鏡面のような心(心即理)の状態に無いのに、己の私欲、執着を良知と勘違いして、妄念を心の本体の叫びと間違えて行動に移してしまうと、地に足のつかない革新志向になりやすいのです。
幕末の再建の神様である山田方谷は、陽明学は誤った理解をすると重大な間違いを犯す危険があると考えて、朱子学を十分に理解して朱子学と陽明学を相対化して理解が出来る門人にのみにしか陽明学を教授しなかったと言われています。
(*'▽')
一例を上げましょう。
奉行所時代に与力として、狷介ながら汚職を嫌う正義漢として不正を次々と暴き、腐敗を一掃するほどの功績がある方がおられました。
しかし、それも上司の引き立てがあってこそでした。
その上司が転勤になると、彼はその奉行所にいられなくなり、私塾を開きます。
そして、その私塾で、世の中の不正に怒りを覚え、特に飢饉対策に対しての怒り頂点に達して、テロ行為に走ります。
(´・ω・`)
陽明学者である立場から、朱子学者からの不毛な論戦に時間を取られることを避けて、来客にはほとんど面会せず、送られてきた書簡への返信もしなかったそうです。
その方の名は大塩平八郎と言います。
このように、歴史上の改革者が志半ばで、挫折し、極端な行動をするというのは、よくある話です。
しかし、改革者であり、その改革を次の世代に引き継げる人物の名は不朽の存在となります。
(*'▽')
そういう人物は決して、極端な行動をせず、着実な道を選び、挫折や躓きも当然なこととします。
もちろん、思い描いた目標へは遠い道のりで、次の世代に引き継がなくてはならないかも知れません。
(*'▽')
しかし、続けていくことが改革なのです。
朱子学と陽明学を相対化して理解することができる人物とは、陽明学は確かに「行動する禅」と例えられるほど、行動的ですが、朱子学の「父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれ」と、説きます。
これは保守的な思想ですが、事を荒立てる事を戒めています。
「行動をしても、事を荒立てることがないように!」
(*'▽')
と、朱子学と陽明学を学んだ人物は考えます。
改革の為に社会を混乱させては、何の意味もありません。
テロリストが支持を得られないのは、そのテロによって、社会が乱れてしまい、停滞あるいは後退してしまいます。
(´・ω・`)
実際、幕末維新はテロにより起こったのですが、そのテロを鎮静化して、大義名分を得るために何人もの志士が命を落としましたが、始まりがテロだった為に、そもそもの目標である欧米と肩を並べられる日本となる事だったのですが、欧米と戦争して勝てる日本になるという目標にすり替わってしまい、その目標へと邁進していき、先の世界中を敵に回した太平洋戦争となりました。
(´・ω・`)
過激な思想と行動から始まった事は、良い結果を生まないのです。
(´・ω・`)
改革の道は険しくて当然で、その改革が遅々として進まなくても、その目標に向かう次世代の人物がいることを喜ぶべきなのです。
「僕は忠義をする積(つも)り、諸友(しょゆう)は功業をなす積り」と吉田松陰は言いましたが、忠義とは朱子学の根本です。
社会に混乱させることではないのです。
(*'▽')
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江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための閑谷学校では、陽明学が教えられ、岡山藩の発展の礎となりました。
もちろん、武士も学んでいたのですよ、岡山では誰もが「行動する禅」と称される陽明学を学べました!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%91%E8%B0%B7%E5%AD%A6%E6%A0%A1
さて、江戸時代は幕府によって、朱子学の普遍的秩序志向は体制を形作るのに奨励されました。
一方、陽明学は王陽明の意図に反して反体制的な理論が生まれたため、体制を反発する者が好む場合もありました。
自己の正義感に囚われて革命運動に呈する者も陽明学徒に多く、その代表格は大塩平八郎や吉田松陰です。
そもそも、鏡面のような心(心即理)の状態に無いのに、己の私欲、執着を良知と勘違いして、妄念を心の本体の叫びと間違えて行動に移してしまうと、地に足のつかない革新志向になりやすいのです。
幕末の再建の神様である山田方谷は、陽明学は誤った理解をすると重大な間違いを犯す危険があると考えて、朱子学を十分に理解して朱子学と陽明学を相対化して理解が出来る門人にのみにしか陽明学を教授しなかったと言われています。
(*'▽')
一例を上げましょう。
奉行所時代に与力として、狷介ながら汚職を嫌う正義漢として不正を次々と暴き、腐敗を一掃するほどの功績がある方がおられました。
しかし、それも上司の引き立てがあってこそでした。
その上司が転勤になると、彼はその奉行所にいられなくなり、私塾を開きます。
そして、その私塾で、世の中の不正に怒りを覚え、特に飢饉対策に対しての怒り頂点に達して、テロ行為に走ります。
(´・ω・`)
陽明学者である立場から、朱子学者からの不毛な論戦に時間を取られることを避けて、来客にはほとんど面会せず、送られてきた書簡への返信もしなかったそうです。
その方の名は大塩平八郎と言います。
このように、歴史上の改革者が志半ばで、挫折し、極端な行動をするというのは、よくある話です。
しかし、改革者であり、その改革を次の世代に引き継げる人物の名は不朽の存在となります。
(*'▽')
そういう人物は決して、極端な行動をせず、着実な道を選び、挫折や躓きも当然なこととします。
もちろん、思い描いた目標へは遠い道のりで、次の世代に引き継がなくてはならないかも知れません。
(*'▽')
しかし、続けていくことが改革なのです。
朱子学と陽明学を相対化して理解することができる人物とは、陽明学は確かに「行動する禅」と例えられるほど、行動的ですが、朱子学の「父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれ」と、説きます。
これは保守的な思想ですが、事を荒立てる事を戒めています。
「行動をしても、事を荒立てることがないように!」
(*'▽')
と、朱子学と陽明学を学んだ人物は考えます。
改革の為に社会を混乱させては、何の意味もありません。
テロリストが支持を得られないのは、そのテロによって、社会が乱れてしまい、停滞あるいは後退してしまいます。
(´・ω・`)
実際、幕末維新はテロにより起こったのですが、そのテロを鎮静化して、大義名分を得るために何人もの志士が命を落としましたが、始まりがテロだった為に、そもそもの目標である欧米と肩を並べられる日本となる事だったのですが、欧米と戦争して勝てる日本になるという目標にすり替わってしまい、その目標へと邁進していき、先の世界中を敵に回した太平洋戦争となりました。
(´・ω・`)
過激な思想と行動から始まった事は、良い結果を生まないのです。
(´・ω・`)
改革の道は険しくて当然で、その改革が遅々として進まなくても、その目標に向かう次世代の人物がいることを喜ぶべきなのです。
「僕は忠義をする積(つも)り、諸友(しょゆう)は功業をなす積り」と吉田松陰は言いましたが、忠義とは朱子学の根本です。
社会に混乱させることではないのです。
(*'▽')
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財政破綻を救う山田方谷「理財論」―上杉鷹山をしのぐ改革者 (小学館文庫)
- 作者: 深沢 賢治
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2002/06
- メディア: 文庫
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