桃太郎で有名な吉備津彦神社に行ってきました! [岡山]
吉備津彦神社に行って来ました!
岡山市西部、備前国と備中国の境に立つ吉備の中山の北東麓に東面して鎮座する神社で、「朝日の宮」(あさひのみや)の別称があります。
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大化改新を経て吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として崇敬されております。
本殿 は元禄10年(1697年)の岡山藩主・池田綱政による再建時のもので、桁行三間、梁間二間の流造で檜皮葺です。
境内には美しい池もあり、五色島には古代祭祀場の環状列石が残っていています。
また、「吉備の巌」という巨大な石の作品があります。
童話の桃太郎は吉備津彦の活躍を童話にしたのが、桃太郎だと言われておりますが、その鬼と言われているのが、「温羅」ですが、こちらには温羅神社があります。
吉備津彦は第7代孝霊天皇の皇子で大和から派遣されて山陽道を制覇した四道将軍の一人で、吉備津彦は吉備の中山に宮を築いて、吉備の国を支配したと言われています。
3世紀後半から、岡山周辺の古墳は古代出雲の四隅突出型墳丘墓から前方後円墳となります。
この吉備津彦の温羅討伐から吉備は大和の側となったとされる証拠だとされます。
「魏志倭人伝」によると卑弥呼は邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていた伝わっておりますし、
魏志倭人伝に当時の倭人の風俗も記述にも、男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。
とあるので、邪馬台国がこの鬼の国であった吉備と関係があるのではないのか?
と、私は思っております。
古代の温羅にちなんだ「うらじゃ踊り」など、鬼の装束とメイクで勇ましく踊るのなんて、「鬼道」そのものだったかも知れませんね。
(´・ω・`)
天皇家が主催する「神道」との違いを考えてみるにつけ、古代史は浪漫がありますよね。
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鬼ノ城と吉備津神社—「桃太郎の舞台」を科学する (シリーズ『岡山学』)
- 作者: 岡山理科大学『岡山学』研究会
- 出版社/メーカー: 吉備人出版
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