備中松山城に行ってきた! [岡山]
車検から愛車が帰ってきたので、高梁市にツーリングに行ってきました!
備中松山城は現存天守を持つ山城としては最も高い所にある城です。
城までは軽い登山のようなものです。
江戸時代は毎日、通っている武士たちがいたそうです。
(´・ω・`)
毎日、一時間の通勤登山ですね。
山の上にあるので、石垣と崖の組み合わせは圧巻です。
攻めこむにしても登山道ぐらいしかありません。
城から眺める城下町が一望できます。
山城の欠点は水の確保ですが、水も豊富で籠城も苦では無いです。
こんな城でも、歴史上では奪ったり奪われたりしているのは、登ってみて思うのですが、かなり大変だったと思います。
山の頂上には立派な天守閣があります。
ちゃんとした、木造建築の城でコンクリート製ではありません。
江戸時代の天守閣が残っています。
山城といえば、竹田城が有名ですが、天守閣がある山城って珍しいです。
私もよくこんな所にある城を維持していると思ったんですけど・・・
(´・ω・`)
途中、帰り道に高校生が走って登ってました。
やっぱ代々、城を守る御役目の方々が多かったので、若い内から山登りを鍛えるんでしょうね。
備中松山藩といえば、幕末の学者の山田方谷が有名です。
「花燃ゆ」にも出てくるかも知れませんが、長州藩の幕政改革の手本となりました。
5万石の小さな藩ですが、産業創出して鉄生産を活発にして「備中鍬」やタバコや茶・和紙・柚餅子などの特産品を生み出して、経済を立てなおして、小藩とはいえ全国中から学びに学者が学びに来たそうです。
特に高杉晋作が奇兵隊を作る前に備中松山藩の農兵制を学びに来ています。
河井継之助も有名な門下生で、近代化した藩兵で戊辰戦争を戦い抜きました。
文武両道の山田方谷は天才学者であり、行政官であり、政治家でもありました。
儒学者佐藤一斎の門下の佐久間象山と当時はよく比較されたんですが、人格の問題で数々の業績を残しながら、イマイチ評価されず不遇だった佐久間象山とは対照的です。
そして藩主の板倉勝静は幕末に老中首座として活躍するのですが・・・
(´・ω・`)
色々とあるんですよ、ここら辺りは大河ドラマで見てください。
藩主の板倉勝静は松平定信の孫で、徳川吉宗の玄孫という徳川一族ですが、山田方谷の門下は尊王攘夷派でした。
中々、見どころのあるドラマが繰り広げられています。
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