「花燃ゆ」と破約攘夷と支藩の事情 [ドラマ]
高杉晋作が見てきた上海の光景は、あの中国ですら植民地化された現状でした。
あの当時の国力は日本全てを合わせても、中国の国力にもちろん及びもつかない状態ですので、その恐怖はいかほどのものだったか・・・
百聞は一見にしかずという一例ですね。
阿片戦争からの欧米の侵略で、中国は100年の内乱の歴史をたどります。
色々と悲惨な光景を高杉晋作は見たことにより、何があっても植民地化だけは許さないという意見となりました。
そして、長州藩は破約攘夷が主流となるのですが・・・
さて、岩国藩が何故、家格の見直しで意見が変わったのか?
藩主は毛利一族の吉川家なのですが・・・
関が原の戦いで毛利家は西軍総大将でした、石田三成はあくまで副将です。
参謀である吉川広家が徳川家康に取り入り、領土安堵を約束させて、徳川家とは戦わなかったのですが・・・。
当然、徳川家に与した大名たちに与える領土の為に、西軍の大名はほとんど潰されました。
領土安堵されたのは、薩摩のみで、毛利も責任は追求されて潰されそうでしたが、何とか吉川広家に与えられた二国を毛利本家に与えるという事で、生き延びました。
しかし、吉川家は裏切り者として、ずっと肩身が狭い思いをしていたのです。
ただ、徳川家からは格式は大名として扱われて来ました。
徳川家からしてみると、本来は大藩の領主であるべき吉川家なので、扱いは手厚いものとなりました。
そういう訳で毛利家の中で、徳川家に近い存在として幕末でも特異な存在で、キーマンが岩国藩です。
と、いう訳ですが、本家に対して吉川家の名誉が回復されるなら、という事で支藩の中で実は一番力があり、幕府の信頼もある岩国藩も協力することとなりました。
これにより長州藩は一丸となって尊皇攘夷と突き進みます。
まずは英国公使館焼き討ちです。
水戸藩と同じく、過激な行動をする藩として長州藩が一目置かれてました。
(´・ω・`)
まあ、この事件以後、非常に血生臭くなります。
小説(読書感想) ブログランキングへ
あの当時の国力は日本全てを合わせても、中国の国力にもちろん及びもつかない状態ですので、その恐怖はいかほどのものだったか・・・
百聞は一見にしかずという一例ですね。
阿片戦争からの欧米の侵略で、中国は100年の内乱の歴史をたどります。
色々と悲惨な光景を高杉晋作は見たことにより、何があっても植民地化だけは許さないという意見となりました。
そして、長州藩は破約攘夷が主流となるのですが・・・
さて、岩国藩が何故、家格の見直しで意見が変わったのか?
藩主は毛利一族の吉川家なのですが・・・
関が原の戦いで毛利家は西軍総大将でした、石田三成はあくまで副将です。
参謀である吉川広家が徳川家康に取り入り、領土安堵を約束させて、徳川家とは戦わなかったのですが・・・。
当然、徳川家に与した大名たちに与える領土の為に、西軍の大名はほとんど潰されました。
領土安堵されたのは、薩摩のみで、毛利も責任は追求されて潰されそうでしたが、何とか吉川広家に与えられた二国を毛利本家に与えるという事で、生き延びました。
しかし、吉川家は裏切り者として、ずっと肩身が狭い思いをしていたのです。
ただ、徳川家からは格式は大名として扱われて来ました。
徳川家からしてみると、本来は大藩の領主であるべき吉川家なので、扱いは手厚いものとなりました。
そういう訳で毛利家の中で、徳川家に近い存在として幕末でも特異な存在で、キーマンが岩国藩です。
と、いう訳ですが、本家に対して吉川家の名誉が回復されるなら、という事で支藩の中で実は一番力があり、幕府の信頼もある岩国藩も協力することとなりました。
これにより長州藩は一丸となって尊皇攘夷と突き進みます。
まずは英国公使館焼き討ちです。
水戸藩と同じく、過激な行動をする藩として長州藩が一目置かれてました。
(´・ω・`)
まあ、この事件以後、非常に血生臭くなります。
小説(読書感想) ブログランキングへ
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 1,080 円
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 1,512 円
コメント 0