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なぜ入国時に宗教を聞かれるのか? [漫画]

さて、日本人なら外国に行った人は入国時に自分の宗教の欄で一瞬戸惑うはずだ。

はて?
仏教・・・いや、うちは神社の氏子だけど・・・。
とか、である。
でも、空欄や無神論(atheism)と書いてしまうと、入国を拒否される事すらある。

ある意味、行動に何かの枷がある事を申告しないとダメなのです。

さて、今月の魔法少女プリティ☆ベルですが・・・。
http://comic.mag-garden.co.jp/812/890.html

まさに、そういう行動に枷の無い方々が一斉に動き出そうとしているという感じで、物語が大きく動きそうです。

KAKERU先生はこの作品で主要人物や狂言回しとして、目的に対して理詰めで行動出来る人を配している。
まさか、月の女王たるミクちゃんまで、そんなタイプだとは思わなかった。
(´・ω・`)
いや、月の女王として、国家を超える軍隊を率いている状況では、そうならざる得ないか、そうだから軍隊を率いたのか?

「大人になれば歪んでいない人間はいない」という海魔族のマイヤーの言葉どおり、歪んでいない人間はいないわけだが、それは子供のまま、欲望に理詰めで忠実な人間に育つ事の危険性から、何かしろの行動の根源たる思想に枷をつけるという知恵を古代に生み出した。

それが宗教です。
(´・ω・`)
特に、一神教を生み出した過酷な地域は、よりその枷の無い子供に対する権利は制限されてます。
イスラムが女性については、表向きモノ扱いする理由があります。
過酷な環境では、それを生き抜く為に男は道具であり、武器です。
社会に対してより良い道具である事を、男性は伝統的に求められています。
そして、その道具として優秀な男ほど、精神的に自分の女や子供に依存してたりします。
それが存在理由とかになってますからね・・・。
(´・ω・`)
しかし、今は男女差による社会に対する道具としての価値の差が無くなってきました。

そうなると、新たな思想の枷とか何か?
今年のノーベル平和賞を取ったマララが子供に対する教育を訴えてますが、教育はより社会に対して奉仕する力を育みます。
日本が明治維新で一番に力を入れたのは、教育だったのは、次の世代は西洋と同等の教育を与えて、国力が西洋に追いつくだろう。その教育資金は、日本はかつて、金・銀・銅などのレアメタルが豊富だったので、それを義務教育として全国に広げる金がありました。そして、その資源を使い尽くす前に、産業革命による工業化を果たしました。義務教育を終えた国民は産業革命後の書類で指示され、機械を使う工場で働くことが可能になったのです。
この急激な社会の変化を日本は明治維新による文明開化と呼んでいます。
そして、日本はその思想の枷を、天皇を中心とした家族制度による形で、国に対する忠義と親に対しての孝行としました。
がっ、戦後は崩れたんですけど・・・。
これを書き出すと、長くなりますが、そういう思考の枷がなくなり、すべてを理詰めで考えだすと、人間は暴走し始めるのです。
これは恐ろしい犯罪のほとんどが、そういうサイコパスなナルシストで、サディストであるという動物としては普通だけど、人間としては問題がある人々によって起こされます。

人間というのは、例えば欲望に正直に行動しすぎると、非常に危険です。
それと同じく、すべて理詰めで行動しても、非常に危険です。

天界でのミクの行動がまさにそれを物語っています。
天界最強の武力を持ったまま、最高権力者ゼルエルの女になり、ある意味、天界で一番危険な存在になってしまいました。
漫画での表現としては、ゼルエルはもうミクに対して守るべき恋人として思っているのに対して、ミクは非常に理詰めで近づいてきただけです。

プリティ☆ベルは主要人物のほとんどが、その思考に枷が無いという、人間として危険人物ですが・・・。
と、いうわけで、私はこの続きが非常に楽しみです。
(´・ω・`)

サザエさんやちびまる子ちゃんが社会による思考の枷にハマって、家族という共同体で暮らす無害な人間の話で、誰でも安心して見れる作品に対して、ある意味、劇薬ですね。

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」byニーチェ
の言葉どおり、人間というものを深く覗きすぎると、どうして今の社会はこうなのか?
という、実に危ういバランスの上に存在する社会なのです。
それこそ、その枷を外れて子供をさらおうものなら、日本の社会は全力で探しますし、社会的にその人物をほっておいた家族にも矛先が向いて、まともな家族にしなかった親の責任が問われます。
家族制度による思考の枷がまだ日本では残っている証拠です。
でも、日本はそういう思考の枷があって、日本は子供が普通に出歩けるという社会がまだ実現しています。
このまま続いてほしいです。

外国は治安はそこまで安全では無いという事は、それだけ危険人物の割合が多いという事でもあるのです。
神に対して発揮される思考の枷は、「私はその神を信仰する特別な存在だから」とセットですが、家族という共同体による思考の枷は、皆、親の子供であり、親になるうる家族にとって自分は特別な存在だが、他人も同様にそうなのだ。と、なります。
東日本大震災の時にまだ色濃く家族制度が残る地域での治安の維持された理由はそういう理由もあるのです。
と、いう日本の思考の根底にある思想が、外国から見れば、日本教と言われることがあります。

古典SFでコンピューターによる支配で、理詰めで考えると増えすぎた人間が邪魔って話がありますが、
理詰めでしか考えず、思考の枷が無い人は古典SFのコンピューターのように思うわけです。
(´・ω・`)


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